大木金太郎の思い出・・・
- 2006 10/26 (Thu)
1960〜70年代に必殺技の頭突きで鳴らした往年の有名プロレスラー、大木金太郎(おおき・きんたろう、本名:金一=キム・イル)さんが26日正午、ソウル市ノ原区下溪洞(ノウォング・ハゲドン)の乙支(ウルジ)病院で死去した。77歳だった。
主治医を務めた乙支病院のチェ・ジェウン教授は「頭突きの後遺症や糖尿病、高血圧、慢性心不全などで闘病生活を続けていたが、同正午17分亡くなった」と伝えた。直接の死因は心不全。心臓疾患による高血圧や糖尿病などを併発し、入院生活が続いていたが、25日から危篤状態に陥っていた。全羅南道(チョンラナムド)の高興郡(コフングンン)出身。
力道山に憧れて1957年、力道山に弟子入りしレスリングを始めた金さんは、1963年に世界ヘビー級チャンピオンになるなど当時のプロレスリング世界の国民的英雄だった。とりわけ「パッチギ(頭突き)キング」の愛称で親しまれたが、数十年前から体調を崩し事実上引退、闘病生活が続いていた。
故チャン・ヨンチョル、チョン・ギュドク氏らと共に人気を集めた後、1970年代に引退した金さんは、日本で多様な事業を展開したが毎度失敗し、それ以降後遺症などで闘病生活に耐えなければならなかった。金さんの喪家は乙支病院葬儀場・地下1階の特室に設けられており、28日午後、京畿道碧蹄(キョンギド・ビョクジェ)で火葬した後、遺骨は故郷の全羅南道に安置される予定だ。
俺が大木金太郎を意識して見たのは小学校1年の頃の全日のときかなぁ?
一番印象に残っているのは世界オープンタッグにキム・ドクと組んで参加してたとき。
このときはブッチャー・シーク組より怖い印象があった。
蔵前のオープンタッグ最終戦のセミが馬場&鶴田対大木&キム・ドクだったような・・
当時は土曜20時から日テレで放送されていた。
この日の中継は2試合。
これとファンクス対ブッチャー・シーク。
あっさり馬場&鶴田が勝っちゃった記憶がある。
その何年かたった後、大木は国際プロレスの舞台へ。
大木はエースで迎えられるが、この時点で国際プロはTV中継切られてた気がします。
俺は何回か国際プロを後楽園で観戦したことありますが、大木が活躍した時期は行ってませんでした。
当時の月刊プロレスや別冊ゴングでの雄姿は覚えてます。
決め技はX固めでしたね。(ほぼコブラツイストだった)
大木金太郎はジャイアント馬場、アントニオ猪木と共に日本のプロレスを創造した選手だと思っております・・・
心よりご冥福をお祈り致します。
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Comment
さっき、報道ステーションで映像見ました。
頭突きの後遺症とかってあるんだ…初めて知りました。
自分もあの試合は覚えてますが、どちらかというと、キムドクと組んでの馬場・鶴田からインタータッグを取った試合のほうが印象が強いですね。
改めて、ご冥福をお祈りします。
ボボ・ブラジルとの石頭合戦、猪木との壮絶なセメントマッチ…けっこう印象に残っている日プロ時代からの頑固者というイメージ。
昭和プロレスを駆け抜けた大木金太郎氏死去の知らせはやはり、ショックでした。
猪木は、ライバルたちに先立たれました。
大木氏のご冥福をお祈りしたいと思います。
>アヤさん
そういえば、ダイビングヘッドバッドを得意としたダイナマイト・キッドも引退後は後遺症に悩まされてました・・・
俺の大好きな選手でした。
>王流さん
キム・ドクも凄い選手でしたよね!
鶴田とドクの絡みはホント緊張感がありました。
戸口を名乗ってから魅力失われたような気がします・・・
>安頓さん
はじめまして!
コメント有難う御座います。
大木とブッチャーの試合も印象に残ってます。
本人はヒールが嫌だったのか国際のときのほうが生き生きしていた感じがします。
よくわからないのですが日プロ時代の行動次第ではもう少し上にいけたのかもしれませんね・・・
子供の頃見た大木の一本足原爆(?)頭突きやジョニーパワーズの8の字固め。猪木はいつかリングの上で殺されるとTVの前で本気でびびっておりました。
>Rickyさん
当時は8の字固めと4の字固めの区別がつかず困ったモンです!(笑)
猪木と大木の試合は後にVTRで見ましたが、短時間の割には緊張感ある良い試合でしたね!
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