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上井文彦とは何か? 第1回

 2007-03-07
上井文彦『ウィキペディア(Wikipedia)』

上井 文彦(うわい ふみひこ 1954年4月4日 - )は山口県出身の会社社長。

新日本プロレスでは長年に渡って営業職・執行役員として貢献した。

その後退社し、プロレス興行事務所「ビッグマウス」を立ち上げた。

[編集] 経歴

* 1977年 - 大学卒業後、新日本プロレス入社。
* 1985年 - UWF所属。
* 1986年 - 新日本プロレスに復帰。
* 2004年10月 - 新日本プロレスを退社。
* 2005年1月 - ビッグマウス立ち上げを表明。前田日明も協力を表明。
* 2005年9月 - 後楽園ホールで旗揚げ戦。
* 2006年2月 - 意見の相違から、前田日明がビッグマウスからの離脱を宣言。
* 2006年10月 - ビッグマウスから離脱。
* 2006年11月 - UWAI STATION旗揚げを発表。


生年月日と入社年を見ると、大学卒業して社会人としての1歩を新日本プロレスで始めたと言える。
入社から第1次UWFに移り、再び戻るまでの新日本プロレス社長は猪木寛至(アントニオ猪木)。
因みに1977年からの新日本プロレスの大きな動きとして、アリとの異種格闘技戦による後遺症、異種格闘技戦の継続、藤波の凱旋帰国、藤波主役のジュニア路線、それに伴うグラン浜田・木村健吾へのスポット、剛竜馬引き抜き、全日本プロレスに対するNWAへの固執、WWWFとの協調路線、外人の引き抜き合戦、タイガーマスクの華々しい登場、長州の反旗、前田のデビューと著しい成長、国際プロレス選手の受け入れ等があった。

1977年から1986年に新日本プロレスに復帰するまでの上井文彦の経緯が書かれている物は無いと思う。
会社として危機の時代に入社し、タイガー時代の絶頂期を経験している。
しかし当時アントニオ猪木が起こした「アントンハイセル」の失敗により莫大な負債を抱え、猪木派と反猪木派のいざこざで営業本部長であった新間寿営業本部長が会社を追われ、第一次UWFの設立に至る。
上井氏はこの第一次UWFに移る事になった。これは上井氏が猪木及び新間の影響下の強い位置で業務を遂行していたのだと思われる。

第一次UWFは試行錯誤の後、従来のプロレススタイルからショー的要素を除外し、今の総合格闘技に近いともいえる独特の闘いを繰り広げていく。

今の上井氏にあるプロレスラーは「プロレスが出来るのは勿論のこと、総合格闘技でも通用出来なければいけない。」という信念はアントニオ猪木と第一次UWFに多大な影響を受けたからであろう。

第一次UWFは猪木の参加やフジテレビのバックアップも約束されていたが、それは頓挫し独自で自分たちの道を切り開いていく。
当時TV局のバックアップも無いこの団体は、自らの手で新たなスポンサーを開拓し継続されていく。
上井氏の営業としての実力はこの時期に養われたのではないだろうか?

しかしスポンサーの問題や、選手間の軋轢により第一次UWFは崩壊に向う。
崩壊後、前田、藤原、木戸、高田、山崎ら一部のレスラーと共に新日本プロレスへと復帰した。


(つづく)

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カテゴリ :上井ステーション トラックバック(0) コメント(2)
コメント
面白そうな連載がスタートしましたね!当時の上井さんの回想などもあれば嬉しいですー
【2007/03/07 14:11】 | 山田 #- | [edit]
>山田さん
当時の上井さんの回想って、本人に聞かないと(笑)

でも興味あるなぁ、若かりし頃の上井駅長…
【2007/03/08 21:20】 | マシンガン #- | [edit]














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